初めての日帰りバス旅行★関ヶ原で飛騨牛ランチ

初めての日帰りバス旅行★関ヶ原で飛騨牛ランチ

今日の神戸は晴れ。
12時に雨マークついています!
風邪がしっかり治っていないせいか、今日も肌寒い気がします。
おかしなお天気が続きますね。

GW,終わっちゃいましたね!
みなさん、楽しい休日をお過ごしになれましたか 
私は、バス旅行に行った以外は、体調がすぐれず
お勉強したり、TVを見たり、お昼寝したりと、
何だかぐだぐだと冴えない日々でした。

さて、日帰りバス旅行の続きのお話は、飛騨牛すき焼きランチ 
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せいろ蒸しと、すき焼きと、ローストビーフサラダ、しぐれ煮など

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せいろ蒸しの上段は、負と牛肉のつみれなんですが、
下段には、キャベツに味噌を和えた上に、牛肉がのったせいろ蒸し

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おみやげやさんも併設していて、ゆるキャラのよもぎちゃん
よもぎもちのキャラクターがお出迎えしてくれます。

隣には、関ヶ原ウォーランドという野外のテーマパーク?
ぽいものがあって、戦国武将のお人形らしきものが
あちこちに配置してあるのが、バスの中から見えました。

さて、せっかくなので、関ヶ原の戦い
ウィキペディアによると、
『関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)は、安土桃山時代の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦。
関ヶ原における決戦を中心に日本の全国各地で戦闘が行われた。
主戦場となった関ヶ原古戦場跡は国指定の史跡となっている。
豊臣秀吉はその晩年、五大老(徳川家康、前田利家、宇喜多秀家、上杉景勝、毛利輝元)と五奉行(前田玄以、浅野長政、増田長盛、石田三成、長束正家)を制度化して自らの死後の政務を有力大名や諸将に託そうとしていた。
ところが、豊臣政権下、秀吉の側近として政務を取り仕切っていた石田三成ら(いわゆる文治派)と加藤清正・福島正則・細川忠興ら(いわゆる武断派)との間には対立を生じていた。
これらの対立には、蒲生氏郷の死去に伴う蒲生家相続問題、小田原征伐前後の伊達政宗に対する処遇問題、千利休切腹事件、豊臣秀次事件、文禄・慶長の役での処遇などが内部対立の背景として挙げられている。
政権内部での両派の対立の深刻化と家康と武断派諸将との接近などを経て、慶長5年(1600年)に行われた戦いが関ヶ原の戦いである。
関ヶ原の戦いで争った二派は、徳川家康を総大将とする東軍と、毛利輝元を総大将とし石田三成を中心とする西軍である。
東軍・西軍の諸将の多くは豊臣恩顧の武将であり、この戦いの性格について家康は豊臣家の家臣同士の成敗合戦(豊臣家に仇為す者を成敗する)という建前をとり、また、豊臣家も表向きは静観の立場を取った。
しかし、この戦いは実質的に徳川家康の覇権を決定づけることとなった。』という。



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