京都、洛北、紅葉狩り★今宮神社と、あぶり餅、衣笠開キ町

京都、洛北、紅葉狩り★今宮神社と、あぶり餅、衣笠開キ町

今日の神戸は、晴れたり曇ったりのお天気のようです。 

昨日は、サーキットトレーニングと、ピラティス、
筋膜ほぐしと、お風呂。
でも、最近、よく食べ、よく飲みなので、 
体重増加気味?
一応、野菜中心の食事にしようとするんですが、
どうしても満足できなくて、その後お菓子類を食べだしたら、
もう止まりません 
ヤバイ!

さて、京都、洛北、紅葉狩り、しょうざんリゾートの次は、
今宮神社へ向かいます。
彼氏と二人で、おしゃべりしながら、どんどん歩いていると、
なんだか、また道を間違えたみたい!
スマホのグーグルマップを頼りに、道を探していたら、
すごい所に出てしまいました!
佛教大学の近くだと思うんですが、
昭和初期?と思しき民家(アパート?)が密集しており、
人ひとりがやっと通れるくらいの道が迷路のように
続いています。
ホントに、ここ通っていいの 
彼氏と一緒なので通れますが、
一人では、ちょっと恐くて歩けないい様な感じ。
京都に、こんな場所があるんですね 
写メを撮らなかったんですが、ちょっとびっくりな場所でした。
調べてみると、どうも「衣笠開キ町」という所らしい。
Deep案内不動産部さんのHPによると、
『京都市北区衣笠開キ町、佛教大学の裏手の住宅街に、
なんと砂防ダムの中に作られた集落が残されている。
紙屋川両岸の砂防ダム内の用地を不法占拠して作られた
家屋や農地があり、昭和28(1953)年から存在していたとされる。
集落に入る道は限られており、民家の隙間の未舗装の路地を
入らなければ辿りつけない。
2012年7月に豪雨災害で紙屋川が氾濫し、砂防ダム集落の
大部分の家屋が床上浸水する被害を受けた事で京都府による
立ち退き勧告が検討されているが未だに人が住み続けている
事には変わりがない。
災害直後に砂防ダム集落の様子を見に行ったが、
床上まで泥だらけで酷い有り様だった。
なお、住人の大半が在日コリアンとされている。』という。
そういう曰くつきの場所だったんですね!
よく迷い込んだものですね。

そういう道を通り抜け、やっとたどり着いた今宮神社 
今宮神社 (21)_resized
今宮神社HPによると、
『御祭神は。
【本社】
中御座 : 大己貴命(おおなむちのみこと)
東御座 : 事代主命(ことしろぬしのみこと)
西御座 : 奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)
【摂社】
疫 社 : 素盞鳴命(すさのをのみこと)
御神徳は、健康長寿と良縁開運』だそうだ。

今宮神社 (20)_resized
『当社地には平安建都以前より疫神(えきしん)を祀る社
があったといわれる。
建都ののち平安京が都市として栄える一方で、
人々はうち続く疫病や災厄に悩まされ、これを鎮めるため
神泉苑、御霊社、祗園社など各地で盛んに御霊会(ごりょうえ)
が営まれた。今宮社の紫野御霊会もその一つである。す
なわち、一条天皇の御代正暦五年(994)六月、
当社地の疫神を二基の神輿に齋いこめて船岡山に安置し、
神慮を慰め奉って悪疫退散を祈った。
これが紫野御霊会であり今宮祭の起源である。
そしてこの時、京中の老若男女は挙って神輿に供をし
船岡山へ登り、綾傘に風流を施し囃子に合わせて唱い踊り、
病魔のよれる人形を難波江に流したといわれる。
これが夜須礼(やすらい祭)である。
長保三年(1001)ご霊夢によって疫神は船岡山から
再び現在の当社地に奉遷され、新たに設けられた
神殿三宇ともども今宮社と名づけられた。
これが今宮神社の起源である。
創祀以来朝野の崇敬を集め、とりわけ徳川綱吉公生母
桂昌院の崇敬は西陣への愛郷の念とともに厚く、
元禄七年(1694)には荒廃していた社殿の造営など
大いに務められ、祭礼も往時のような盛況を取り戻したと伝えられる。
明治二十九年本社殿を焼失したが、同三十五年に再建し、
その後も西陣をはじめ多くの人々の崇敬を集めている。』

今宮神社 (19)_resized
これは、雅楽などを奉納する舞台のようです。

今宮神社 (18)_resized
本社

今宮神社 (17)_resized
丁度、結婚式が行われていました。
お二人が、末永くお幸せでありますように!

今宮神社 (16)_resized

今宮神社 (15)_resized
『織姫社
御祭神、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)は
高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の御子で
皇祖天忍穂耳尊(あめのおしほみのみこと)の御妃であり
、天火明命(あめのほあかりのみこと)邇々杵尊(ににぎのみこと)
の御母にあたる。
別に天栲幡千幡姫命(あめのたくはたちはたひめのみこと)、
萬幡豊秋津師比賣命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)とも言う。
神名の「栲」は「たへ」と同じく、梶の木の皮の繊維で織った
白色の布を指し、古の布の総称としても用いられる。
「幡」はここでは織物を意味し、命の機織の功を称えた美称
として使われ「千千」は「縮」に通じて織地の精巧さを
言ったものと考えられる。
命は織物の巧みさ美しさを賞でられる神として技芸上達を
願う人々の崇敬が篤く、七夕伝説の織女に機織を
お教えになられたとも言われ、織物の祖神とされている 』

今宮神社 (14)_resized
今宮の奇石、「阿呆賢(あほかし)さん」
今宮神社HPによると、
『古くから神占石ともいわれ、
病弱な者はこの石に心を込めて病気平癒を祈り、
軽く手のひらで石を撫で、身体の悪いところを
摩れば健康回復を早めると伝わる。
また、重軽石ともいわれ、まず軽く手のひらで
三度石を打って持ち上げるとたいそう重くなり、
再度願い事を込めて三度手のひらで撫でて持ち上げ、
軽くなれば願いが成就すると言い伝えられている。』という。

この石、けっこう重たい 
私は、軽くならなかったよ~~!

今宮神社 (12)_resized
『八社
境内西側に、一棟に大国社・蛭子社・八幡社・熱田社
・住吉社・香取社・鏡作社・諏訪社の八社を祀った細長い社がある。』

今宮神社 (11)_resized

今宮神社 (10)_resized
大将軍八神社ともいい、素盞嗚尊と同一神とも される
牛頭天王(ごずてんのう)と八大王子(八神・素盞鳴尊
の五男三女)を祀る。
昔、平安京の四方に大将軍社を建て祀り、都の鎮護
としたが、その一つ大徳寺門前に祀られた社を当社境内に遷し祀った。』

今宮神社 (9)_resized
『日吉社
末社、日吉社(ひよししゃ)には近江の日吉大社(ひえたいしゃ)
の御祭神、大山咋神(おおやまくいのかみ)大物主神(おおもの
ぬしのかみ)お祀りしており、当社産土の地「上野村」に祀られて
いた上ノ御前、下ノ御前の両社を明治初年に合祀した。』

今宮神社 (8)_resized
『稲荷社・織田稲荷社
境内の少し小高い石垣の上に稲荷社と織田稲荷社がある。
「稲荷社」の御祭神は伏見稲荷大社と同じく宇迦御魂命
(うがのみたまのみこと)を祀る。素盞鳴尊の御子神であり
「宇迦」は食(うけ)の意で、食物を治められた功績による御名である。
織田信長公を祀る「織田稲荷社」は、墓所阿弥陀寺の
移転跡地、西陣元伊佐町に鎮座したが、
これを昭和六十二年に当社境内に遷し祀った。』

今宮神社 (7)_resized

今宮神社 (6)_resized

今宮神社 (5)_resized
今宮神社の名物”あぶり餅”屋さん
神社参拝後に、これを食べるとご利益があり、
疫病にかからないと言い伝えられているそうです。

今宮神社 (4)_resized

今宮神社 (3)_resized
椅子に座ると、大きな急須のお茶とともに、形の一定しない
串に刺した”あぶり餅”が出て来る。
1人前、500円。
もち米を蒸した後、親指ほどの大きさにちぎって
きなこをつけ、竹串に刺してから炭火で焼き、
白味噌のタレをからめたもの。
一部の竹串は今宮神社に奉納されたものを使っているらしい。
やすらい祭当日は、今宮神社にもあぶり餅が供えられるという。

今宮神社 (2)_resized
店先で餅を焼き、その後ろで、餅をちぎってきなこをつけ
串に刺して作っています。
向かいにある同じ”あぶり餅”屋さんと客引き合戦をしながら、
こちらのお店では、400年以上にわたり、
女性がのれんを守ってこられたそうです。



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