甲賀三大佛、いちいの観音「櫟野寺(らくやじ)」薬師如来坐像

甲賀三大佛、いちいの観音「櫟野寺(らくやじ)」薬師如来坐像

今日の神戸は、晴天!
気持ちのいいお天気でした!

でも、特に、どこに出かけるという予定もなく、
前日に写真の整理をしていたら、何故だか消えてしまう 
という事件の復旧のために、3時過ぎまで起きていたので、
朝は好きなだけ寝ました!

と、言っても、みーにゃんの「起きろ!」攻撃が、
起きないと段々激しさを増していくので、
たいていは、頭にきて起きる!
というパターンなのですが。

さて、先週滋賀県に行ったお話の続きは、
近江牛すき焼きと、松茸でおなかいっぱいになった私たちは、
次の目的地、甲賀三大佛のひとつ、薬師如来坐像のある、
いちいの観音「櫟野寺(らくやじ)」に向かいました。
甲賀市甲賀町櫟野1377  TEL:0748-88-3890 
拝観料:500円、特別拝観期間拝観料:600円
「魚松」からはほど近く、田んぼの中の畦道のような道を走って、
午後2時半ごろ到着。
櫟野寺(らくやじ) (1)_resized
参道:左側にたくさんの十一面観音坐像が並んでいます。
福生山自性院櫟野寺(いちいの観音)は、HPによると、
『桓武天皇の延暦十一年に比叡山の開祖伝教大師様が
根本中堂の用材を獲る為に甲賀郡杣庄においでに
なりました時、霊夢を感じて此の地の櫟の生樹に
一刀三礼の下彫刻安置されました、
日本最大坐仏十一面観音菩薩が御本尊様です。
(世に生えぬきの観音様と称されております)
その後延暦二十一年、征夷大将軍を拝命の坂上田村麻呂公
は夷賊を討伐の為、杣ヶ谷を櫟野まで登られ、櫟野観音の
御力により兇賊を退治することが出来たのであります。
それ故将軍は当寺を祈願寺と定め、大同元年七堂伽藍を建立、
永く当山守護の為に自ら等身の毘沙門天の尊像を彫刻、
そして家来に命じて国技の相撲を奉納是が現在まで継続
しております大会式十月十八日の奉納相撲なのであります。
当寺は、天台宗総本山延暦寺の末寺で、往古は甲賀六大寺
の筆頭と云われ、この地方の天台文化の中心寺院であり、
広大な境内地を有し、その末寺には、阿弥陀寺(櫟野)
仏性寺(神)常光寺(上田)地蔵寺(櫟野)成道寺(櫟野)
安国寺(櫟野)詮住寺(櫟野)など数々の坊がありましたが、
年月不詳荒廃に帰したのであります。(転宗、合併し一部現存)』という。

櫟野寺(らくやじ) (2)_resized
手水舎

櫟野寺(らくやじ) (3)_resized
鐘楼

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本堂

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本堂前の縁結びの神

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平成30年、33年に一度のご本尊大開帳
(昔は、33年に一会の結縁だったが、10月にご開帳されるそうです)。

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本殿上の奉納文

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本殿前の祈願のろうそく

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彼氏の起業の商売繁盛を願って 
ろうそくの前の鈴を鳴らしてお願いしようと思ったんですが、
蜂が持ち手に止まって鳴らさせてもらえません!

櫟野寺(らくやじ) (5)_resized
坂上田村麻呂所縁の土俵
『櫟野寺の奉納相撲は、今から約1200年前征夷大将軍
坂上田村麻呂公が鈴鹿の山の山賊(鬼)平定(退治)の為、
当寺の御本尊十一面観音菩薩にご祈願され、観音さまの
御力により山賊(鬼)を平定(退治)することができたので、
そのお礼の際に当山境内で、家来に命じ相撲を取らせ
奉納させたのが始まりと伝えられ、今日まで継承されています。』という。

櫟野寺(らくやじ) (11)_resized
本堂の中、ご本尊は宝物館の中
拝観料を払うと、お寺の女性が、黒い鉄扉の鍵を開けて、
本堂の奥の大悲閣へ案内してくれます。
中には、重要文化財のたくさんの仏像が置かれていますが、
手がないものが多かったです。
昔は、一本の木や、寄木で彫ったため、手は別に彫ることが多かったようです。
仏像の中は空洞で、上から金箔が塗られていたりします。
案内の女性が、とても親切に解説してくださいます。
この中の仏像は、お写真を撮るのは、仏様に対して失礼
とのことで、写真撮影できません。
(以下櫟野寺HPよりお写真をお借りしました。)

檪野寺・木造薬師如来坐像
甲賀三大佛のひとつ、木造薬師如来坐像 222.0cm。
現在の安穏を祈る。
薬師如来の真言(仏の働きを表す呪文)は「オン コロコロ
センダリマトウギソワカ(oṃ huru huru caṇḍāli mātaṅgi svāhā)」
で、おおよそ「帰依し奉る、病魔を除きたまえ払いたまえ、
センダリやマトーギの福の神を動かしたまえ、薬師仏よ」
というような意味だそうです。
『もと詮住寺の本尊で、寄木造りの木造金色像である。
左手に薬壷を持ち、右手は施無畏印を結び、八角七重の
蓮華座の上に降魔坐を結んだ寄木造り漆箔金色の大像で
平安時代の作と見られる二重円光の光背はこの頃流行した
本格的なもので、比較的完全な当初のものである。
この種の藤原期の丈六の如来像は、近江でもそう多くはないであろう。』
ご本尊の右に12子支の干支に守られて鎮座しておられます。

Wikipediaによると、『薬師如来 (やくしにょらい、梵 Bhaiṣajya-guru ,
バイシャジヤ・グル)、あるいは薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい、
梵: Bhaiṣajya-guru-vaidūrya-prabha-rāja , バイシャジヤ・グル・
ヴァイドゥーリヤ・プラバ・ラージャ)は、大乗仏教における如来の一尊。
大医王仏とも称する。
三昧耶形は薬壺または丸薬の入った鉢。種子(種子字)は
尊名のイニシャルのバイ(bhai)。』という。
瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされるありがたい仏様ですね。

檪野寺・木造十一面観音坐像
檪野寺の本尊、木造十一面観音坐像 312.0 m。
真言:オン ロケイジンバラ キリク(Om lokesvara hrih)
オーム (聖音),世自在尊よ,ह्रीः(種子)
大悲閣(収蔵庫)の中の黒い扉の中に厳重に奉安され、
拝観することが出来ませんでした。
『秘仏としてかつては三十三年目の開扉以外は容易に
拝観することができなかったが、現在は十一月三日(文化の日)に
特別開扉されている。
寺伝によると、桓武天皇の御代の延暦十一年に伝教大師
(最澄)が、比叡山根本中堂建立の用材調達のため杣谷巡錫
の際、霊夢を感じて檪の生木に一刀三礼のもと立木のまま
彫刻され、この地に安置されたといわれている。
像は一木造りで左手に華瓶、右手は膝の上にあげ念珠をもち、
頭上には十一面化仏を頂いて吉祥座を組んでおられる。
目鼻立ちは大ぶりで、はっきり刻み、体躯は肩幅が広く体の
厚みを十分にとり四肢は太目に作り衣のひだ等も規則的に
整理され、彫りも鋭い稜線を残しており、丈六像にふさわしい
どっしりと落ついた姿に象形していることなどから考え、
平安(八世紀)初期の制作と思われる。』

Wikipediaによると、『十一面観音、梵名エーカダシャ・ムカ
(एकदशमुख [ekādaśamukha])は、仏教の信仰対象である
菩薩の一尊。梵名は文字通り「11の顔」の意である。
観音菩薩の変化身の1つであり、六観音の1つでもある。
玄奘訳の「十一面神咒心経」にその像容が明らかにされて
いる通り、本体の顔以外に10または11の顔を持つ菩薩である。
三昧耶形は水瓶、開蓮華。種子(種子字)はकキャ(ka)
、ह्रीःキリーク(hriiH)。
大光普照(だいこうふしょう)観音とも呼ばれ、頭上の11面のうち、
前後左右の10面は菩薩修行の階位である十地を表し、
最上部の仏面は仏果を表すとされるが、これは衆生の十一品類
の無明煩悩を断ち、仏果を開かしめる功徳を表すとされる。
「救わで止まんじ」の誓願を持つがゆえに、大悲闡提とも呼ばれる。
六観音の役割では、阿修羅道の衆生を摂化するという。
密教の尊格であり、密教経典(金剛乗経典)の十一面観自在菩薩
心密言念誦儀軌経(不空訳)、仏説十一面観世音神咒経、
十一面神咒心経(玄奘訳)に説かれている。
十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経によれば、10種類の現世での
利益(十種勝利)と4種類の来世での果報(四種功徳)をもたらすと言われる。
<十種勝利>
離諸疾病(病気にかからない)
一切如來攝受(一切の如来に受け入れられる)
任運獲得金銀財寶諸穀麥等(金銀財宝や食物などに不自由しない)
一切怨敵不能沮壞(一切の怨敵から害を受けない)
國王王子在於王宮先言慰問(国王や王子が王宮で慰労してくれる)
不被毒藥蠱毒。寒熱等病皆不著身(毒薬や虫の毒に当たらず、悪寒や発熱等の病状がひどく出ない。)
一切刀杖所不能害(一切の凶器によって害を受けない)
水不能溺(溺死しない)
火不能燒(焼死しない)
不非命中夭(不慮の事故で死なない)
<四種功德>
臨命終時得見如來(臨終の際に如来とまみえる)
不生於惡趣(悪趣、すなわち地獄・餓鬼・畜生に生まれ変わらない)
不非命終(早死にしない)
從此世界得生極樂國土(今生のあとに極楽浄土に生まれ変わる)
日本語では「十一面観音菩薩」、「十一面観世音菩薩」など
様々な呼び方があるが、国宝、重要文化財等の指定名称は
「十一面観音」となっている。』という。

檪野寺・木造毘沙門天立像
木造毘沙門天立像 163.0cm
『寺伝によると延暦二十一年鈴鹿の夷族討伐のため、
征夷大将軍坂上田村麻呂がこの地に来り檪野観音の
加護によって賊を平定した報恩のため、
大同元年(八○六)自ら等身大の尊像を彫刻し、
本尊のかたわらに安置したといわれている。
本像は仏教世界の護法施福と、本尊を守護するため、
甲冑で身をかためた武将姿の立像である。左手に宝塔
を持ち、右手に宝剣をとって法衣の左右両袂を縛り、
右足を少し遊ばせて顔面を斜左に回して一点を見つめる
忿怒の形相は凄まじく、仏法を守護する四天王に
ふさわしい雄気無比の像である。』
毘沙門天の真言は、オン・ベイシラ・マンダヤ・ソワカ

Wikipediaによると、『毘沙門天(梵名: ヴァイシュラヴァナ、
梵: वैश्रवण , VaiśravaṇaまたはvaizravaNa)は、仏教に
おける天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に
四天王の一尊に数えられる武神である。また四天王
としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の
広い地域でも、独尊として信仰の対象となっており、
様々な呼び方がある。種子はベイ(vai)。
日本では四天王の一尊として造像安置する場合は「多聞天」、
独尊像として造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。
庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺である。
鞍馬は北陸若狭と山陰丹波を京都と結ぶ交通の要衝でもあり
古くから市が栄え、自然と鞍馬寺の毘沙門天の本来の神格
である財福の神という面が強まり、また9世紀頃からは
正月の追儺において、疫病を祓う役どころがかつての方相氏
から毘沙門天と竜天のコンビに変わっていったことから
無病息災の神という一面が加わる。
平安時代末期にはエビスの本地仏ともされ、日本では
毘沙門天は甲冑をつけた姿が主流となるがこの姿は
エビス神の古い形態でもあり、このことは市場で祀られた
ことと関係がある。
こうして福の神としての毘沙門天は中世を通じて恵比寿・
大黒にならぶ人気を誇るようになる。
室町時代末期には日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、
江戸時代以降は特に勝負事に利益ありとして崇められる。』という。

P9270515.jpg
三大佛にお参りすると、「花びら」(御影《おすがた》入り
散華《さんげ》)がいただけるそうですが、
大池寺でいただかなかった!

Wikipediaによると、
『散華(さんげ)とは、華(花)を散布すること。
仏教では仏を供養するために華を散布する。
また花を散らす意味から転じて、死亡すること、
特に若くして戦死する事の婉曲表現としても使われている。
<仏教>仏や菩薩が来迎した際に、讃嘆するために
大衆や天部の神により華を降らしたという
故事にちなんで行われる。
釈迦仏の前世である儒童梵士(じゅどうぼんし)が
燃燈仏に華を散らして供養した話などはその代表的な例である。
寺院で法要を巌修する時に、仏を供養するため花や葉を
撒き散らす。
法要に散華を行うのは、華の芳香によって悪い鬼神
などを退却させ、道場を清めて仏を迎えるためとされる。
元来、蓮などの生花が使われていたが、
現在は蓮の形を模った色紙で代用することが多い。
その形から分かるように蓮華を模っている。
これは釈迦と深い繋がりがあり、葬儀など仏を供養する場で
撒かれることがある。この色紙を「華葩(けは)」ともいう。
また入仏開眼や寺院の落慶法要では大量の散華が撒かれ、
見ごたえがある。散華をコレクションする人々も存在する。』という。

櫟野寺(らくやじ) (12)_resized
めっちゃでっかいおみくじ!重たくて、
なかなかくじが出てこない!

櫟野寺(らくやじ) (15)_resized
引いたのは、末吉
おみくじを絵馬かけにくくりつけて、午後3時過ぎに、
お寺を後にしました。



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