島根旅行、石見銀山、佐毘売山神社と、狭姫(サヒメ)降臨の神話

島根旅行、石見銀山、佐毘売山神社と、狭姫(サヒメ)降臨の神話

今日の神戸は、晴れのち曇。 
昨日は、思ったより寒くなかったです。

昨日 
お昼の3時過ぎまで寝ちゃいました~~!
ホント、よく寝れるよね!
お昼過ぎぐらいかと思ったんだけど……。

さて、島根旅行の続きのお話は、龍源寺間歩を後にして、
電動自転車を借りたお店まで戻ります。
龍源寺間歩 (15)_resized
佐毘売山神社、急な階段を上ったところに、
木造の建物が見えるのがそうかと思っていたら違うみたい。

佐媛山神社2

佐媛山神社
Wikipediaによると、
『島根県 大田市 大森町の石見銀山(大森銀山)の中に鎮座する神社。
祭神は金山彦命。
世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の一部である。
さひめ山とは、三瓶山の古名。
神亀3年(726年)に朝廷の命令で、三瓶山に改名させられたとされる。
三瓶山は、古代出雲や物部氏に関係が深い山とされている。
佐比売山という漢字を使う神社も含めて、「さひめやま」と称する神社は
大田市周辺に7社、益田市に1社ある。
また、物部神社の境内末社である一瓶社にも佐比売山三瓶大明神が祀られている。
「さひめ」の『さ』は穀物霊や、鉄を表しているとの説がある。
別名は山神社といい、鉱夫や里人からは「山神(さんじん)さん」と呼ばれていた。
当神社は、元々、金山姫・埴山姫・木花咲耶姫の三女神を祭った
姫山神社であったが、永享6年(1434年)室町幕府第六代将軍 足利義教
の命で、領主の大内氏が、石見国 美濃郡益田村(現在の益田市)から
金山彦命を勧請して、同時に大山祇命も合祀し、五社大権現と称した
という説と、領主の大内氏によって大永年間に建立されたとの説がある。
石見銀山の坑道の1つである龍源寺間歩の出口の約200m東に位置する
東南方向に100段の石段を上がると、巨石の上に社殿が鎮座している。
石段に向かって左の谷を出土谷、右の谷を昆布山谷と言い、
龍源寺間歩出口のある場所を含めた、川の流れる背後を栃畑谷と言う。
拝殿の重層屋根は天領の神社である格式を示しているという。
境内から北方向に要害山の山吹城跡が望まれる。
また、大永年間に銀山開発を行った博多の豪商 神屋寿禎(かみやじゅてい
:神谷寿貞 等とも書かれる。)が導入した灰吹法(青金と呼ばれた鉛を
使って銀回収の歩留まりを上げる当時最先端の冶金方法。
鉛を使用する方法は、銅中の銀を回収する方法である南蛮絞り《南蛮吹き》
にも応用された。)は、この付近で初めて導入されたとされる。
灰吹法を伝えた渡来人 慶寿(けいじゅ:桂寿とも書く。出身国には諸説ある。)
は出土谷に滞在していた、との伝承がある。
寿禎に従って銀山に入り、内紛で殺され、祟ったとされる鉱夫の
於紅孫右衛門も神社に祀られている。
神社としては珍しいことだが、社殿は西北風(あなじ)が吹いてくる北西
に向かって鎮座している。
益田市乙子町にある同名の佐毘売山神社も比礼振山の山頂付近に
北西向きで鎮座している。
また同神社も、美濃国中山南宮神社(南宮大社?)から寛平5年(893年)、
金山彦命が勧請され、同時に大山祇命も合祀し、従来の三姫神社を
五社大権現と称したとの伝承がある。』という。

佐媛山神社3
何か神話がありそうなので調べてみると、佐毘𧶠山神社のHPに、
『狭姫(サヒメ)降臨の神話
高天原(タカマガハラ)にて乱暴を働いた須佐之男命(スサノウノミコト)は、
天照大神(アマテラスオオミカミ)の怒りに触れられ、髪を切り、髯を抜かれ、
手足の爪も抜かれて高天原を追放の身になった。
放浪の途中、ソシモリ(朝鮮)に立ち寄られた須佐之男命は、
大宜都姫命(オオツゲヒメノミコト)に出会い 食べ物を求められたが、
姫は道中の事とて恐れながら口中の飴ならばと差し出すと、
須佐之男命は「無礼である」と大いに怒り、その場で姫を斬ってしまわれた。
大宜都姫命は、息も絶え絶えの時に我が娘 狭姫《姫の末娘(=乙子)、
佐姫とも書き、佐姫の佐はものの始めに付ける接頭語で、早苗・狭霧・
小夜などの如く、 又、小さい事をも意味する。
佐姫が「チビ姫」と言われる所以であり、種物のこと自体をも意味する》
を呼び、全身の力を振り絞り、顔・胸・腹・手・足など五体を撫でさすりながら
稲・麦・豆・粟・ヒエなど五穀の種を生み出された。
そして、佐姫に向かい五穀の種を授ける。
「母無き後は豊葦原(トヨアシハラ)に降り、五穀を広めて瑞穂の安国とせよ」
と言い残して、母神の息は途絶えた。
佐姫は母の亡骸にすがって泣き悲しんでいたが、 その時、
どこからとも知れず飛んできた1羽の赤い雁に促され、涙をぬぐって
五穀の種をたずさえ、雁の背中に乗って東方へ飛び立ったのである。
やがて雲間より、ひとつの島《見島》が見えた。
佐姫はその島に降りて種を広めんとしたが、荒くれ男達《大山祇命》がいて、
「島では魚や鳥、けものを獲って食うので、種はいらぬ」と 言った。
佐姫は、次の島へ行った。高島である。
ところがそこでも、「魚を獲って食うから、種はいらぬ」と言われた。
そこで、次は本土に渡り、天道山(テンドウヤマ)を経てひと際高い
比礼振山(ヒレフリヤマ)《通称:権現山》へ降りたのである。
佐姫は、この山を中心として五穀の耕作を 広めながら種村、弥栄、
瑞穂。佐比売村など東へ東へと進み、遂に小三瓶まで行くのである。
最初に耕作を始めた村が、大宜都姫命末娘(=乙子)ということに
ちなんで今の『乙子町』となり、種を伝えられた事から『種』の名前がつき、
『赤雁』の 地名も赤い雁が降りた事から付けられたという。 』

佐媛山神社4
本殿裏の坑道の形状した穴に、1818年の火災時に、ご神体を守り、
社宝を取り出すために火の中飛び込んで焼死した神官・天野直温
の石像が「岩屋神」として祭られている。



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