島根旅行、石見銀山、福神山闊歩、清水谷精錬所跡、銀の店

島根旅行、石見銀山、福神山闊歩、清水谷精錬所跡、銀の店

今日の神戸は、とってもいいお天気です!

昨日は、カラオケに行ってまた3時半までのんじゃいましたよ~~!

さて、島根旅行の続きのお話は、龍源寺間歩を後にして、
電動自転車を借りたお店まで戻る途中。
龍源寺間歩 (17)_resized
帰りは、自転車の電動機能を使うことなく、
気持ち良い風を感じながら下っていけます。

龍源寺間歩 (18)_resized
立ち入り禁止の福神山闊歩(ふくじんやまかっぽ)

龍源寺間歩 (19)_resized
気持ちのいい公園のような場所もあります。

龍源寺間歩 (20)_resized
清水谷精錬所跡
『徳川幕府が崩壊し、明治時代になると、石見銀山では、
一部の既存の間歩(坑道)を利用した地元の人たちによる
小規模な採鉱がかろうじて続いていましたが、本格的な銀生産の
再開は、明治19年(1886)に萩出身の藤田伝三郎たちが起業した
大阪の藤田組(現在の同和鉱業株式会社の前身)による採掘権
(借区権)の入手を待ちます。
藤田組は、仙ノ山の南側の本谷地区の福石鉱床(の金銀含有率と
量に着目し、それによる銀生産を計画、明治27年(1894)武田恭作氏
(当時東京帝国大学冶金学科学生)の設計による近代的な銀の製錬所
の建設を開始し、20万円の巨費を投じて翌年に完成、
4月から操業を開始しました。
この製錬所には写真のような施設群があり、福石鉱床で採掘した原料
の鉱石は、新たに掘削した金生坑(きんせいこう)と拡張した既存の
蔵之間歩(くらのじょうまぶ)を通って製錬所の最上段までトロッコで
運んでいた状況をうかがい知ることができます。
鉱石の品質が予想より悪く、また設備の銀の製錬能力も十分でなかった
ことから不採算となり、明治29年10月に、開始からわずか1年半で
操業を停止しました。
その後、藤田組は柑子谷(こうじだに)に永久製錬所を新たに建設して、
銅生産を中心に大正12年(1923)まで操業しました。』という。

清水谷精錬所跡5

龍源寺間歩 (21)_resized
途中にある銀の店

石見銀山指輪 (2)_resized
銀細工の指輪をおみやげに買いました!

龍源寺間歩 (22)_resized
途中には、民家もあり、のどかな田舎道です。

龍源寺間歩 (23)_resized

龍源寺間歩 (24)_resized



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