京都22社巡り、岩清水八幡宮、本殿参拝

京都22社巡り、岩清水八幡宮、本殿参拝

今日の神戸は、曇一時晴れ。 
寒い1日のようです。

昨日は、岩清水八幡宮へ行って来ました!
紅葉スポットを探していたら、見頃と出ていたんですが……。
Wikipediaによると、
『京都府八幡市にある神社。旧称は「男山八幡宮」。
二十二社(上七社)の一社で、伊勢神宮とともに二所宗廟の一社。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
宇佐神宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一社、
また宮中の四方拝で遥拝される一社である。』ということで、
先頃より、ご朱印集めで、22社巡りをしようとしているので、
ちょうどいいや!って感じです。

岩清水八幡宮HPによると
『<御祭神>
中御前:応神天皇(おうじんてんのう)(第15代) 〔誉田別尊(ほんだわけのみこと〕
西御前:比咩大神(ひめおおかみ) 〔多紀理毘賣命(たぎりびめのみこと)
・市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)・多岐津比賣命(たぎつひめのみこと)〕
東御前:神功皇后(じんぐうこうごう) 〔息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)〕

<〝やわたのはちまんさん〟の名で親しまれる石清水八幡宮>
やわたのはちまんさん〟と親しまれる当宮が御鎮座する
八幡市・男山は、木津川・宇治川・桂川の三川が合流し
淀川となる地点を挟んで天王山と対峙する位置にあり、
京・難波間の交通の要地であります。また、南北朝時代の
大小様々な戦い、羽柴秀吉と明智光秀の天王山の合戦などで
知られる政治上の重要な拠点でもありました。
男山は都からみて裏鬼門(南西の方角)に位置し、鬼門(北東の方角)
に位置する比叡山延暦寺とともに都の守護、国家鎮護の社として
篤い崇敬を受けてきました。
この経済上、政治上、そして信仰上の要の地に御鎮座され、
日本を平和と繁栄に導く神として多くの人々に崇敬され、
八幡大神様を祀る神社は全国津々浦々に数万社あるともいわれています。
当宮の御祭神は御本殿中央に応神天皇様、西に比咩大神様、
東に神功皇后様をお祀りしています。
この御本殿に鎮まる三座の神々を総称して八幡三所大神(八幡大神)様
と申し上げます。

<〝吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん〟>
平安時代始め、清和天皇の貞観元(859)年、南都大安寺の僧・
行教和尚は豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮にこもり日夜熱祷を捧げ、
八幡大神様の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」
との御託宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉安申し上げた
のが当宮の起源です。
そして朝廷は翌貞観2(860)年、同所に八幡造(はちまんづくり)の社殿
(六宇の宝殿[ろくうのほうでん])を造営し、4月3日に御遷座されました。
天慶2(939)年に起こった平将門・藤原純友の乱の折には、朝廷より
ご請願があり八幡大神様の御神威をもって速やかに平定されて以来、
国家鎮護の社として皇室の御崇敬は益々厚いものとなり、 天皇の
行幸や上皇の御幸は、円融天皇(第64代)の行幸以来、実に240余度
にも及び、伊勢の神宮に次ぐ第二の宗廟とも称されました。
明治の初めには官幣大社に列せられ、「男山八幡宮」と改称されましたが、
「石清水」の社号は創建以来の由緒深い社号であるため、大正7年には
再び「石清水八幡宮」と改称され現在に至ります。

御神徳 -世は変われども神は変わらず-
として朝廷はもとより広く国民に篤い崇敬を受けてまいりました。
特に清和天皇の嫡流である源氏一門は八幡大神様を氏神として
尊崇し、その信奉の念は格別で全国各地に八幡大神様を勧請しました。
源義家は石清水八幡宮で元服し自らを「八幡太郎義家」と
名乗ったことは有名です。
以来、国家鎮護、厄除開運、必勝・弓矢の神として時代を超えて
人々の篤い信仰を受けてきました。
とりわけ当宮の厄除信仰の歴史は古く、今なお全国屈指の
厄除の神社として新春の厄除大祭を始め年間を通し 
参拝に訪れる方々は跡を絶ちません。
「世は変われども神は変わらず」-八幡大神御託宣-
八幡大神様の御神徳はまさに広大無辺であります。』という。

名神の大山崎インターで降りて、広々とした景色の中を走るのも束の間!
車1台しか通れない住宅街の道をくねくね上っていきます。
駅前の駐車場に停めようと思っていたのですが、
ナビの案内で、本殿近くまで上がってしまいました。
でも、↑の駐車場は、無料 
駅前は、500円と書いてありましたよ!
岩清水八幡宮 (2)_resized
南総門が見えてきました!
手前の手水舎で、先ずは、手と口のお清め。

岩清水八幡宮 (3)_resized
南総門
岩清水八幡宮HPによると、
『山上、社殿前にそびえる壮大な南総門から社殿を見ると、
社殿が少し西側を向いていることが分かります。
これは、御神前にて参拝したのち帰る際に、八幡大神様に対して
真正面に背を向けないよう中心を外しているといわれています。』という。

岩清水八幡宮 (4)_resized
御本殿
『国家鎮護の社として都の裏鬼門に位置する男山山上に
御鎮座されてより1150年以上の間、時の為政者を始め、
幾多の人々の祈りが捧げられ、篤い崇敬を受けてきた当宮の
根本である本殿は貞観元(859)年、木工寮権允・橘良基は
清和天皇の勅命により六宇の宝殿を建立し、順次
「八幡造り(はちまんづくり)」の社殿を完成させるに至りました。
以来、造営14度・修理17度におよび、現在の社殿は
寛永11(1634)年、徳川三代将軍家光公の修造によるものです。
前後二棟(内殿・外殿)からなる八幡造りの社殿建築様式は
稀少であり、桧皮葺屋根の軒が接するところに織田信長公
寄進の「黄金の樋」が架けられています。
御本殿から幣殿・舞殿・楼門と続き、その周囲を約180mに
及ぶ廻廊が囲む社殿の建造物全てが丹漆塗で、御本殿を
囲む瑞籬(みずがき)の欄間彫刻をはじめ随所に当時の名工の
極彩色彫刻が施された極めて壮麗な社殿であり、
国の重要文化財に指定されています。 』という。

岩清水八幡宮 (5)_resized
《楼門》
『社殿の顔である楼門の正面には、蟇股部分に一対の
向かい合う鳩の錺金具(かざりかなぐ)があり、よく見ると
向かって右側の鳩は少し口を開けています。
神使である鳩が社殿の正面にて狛犬と同様に阿吽の呼吸で
御神前をお守りしています。
また、その双鳩の少し上を見上げると、極彩色の壮麗な龍虎の
欄間彫刻が施されています。
南に朱雀、東に青龍、西に白虎、北に玄武という四方を守護する
四神(神獣)の関係から考えると、当宮の龍虎の彫刻は東に虎、
西に龍の彫刻が配置されており、これは、御祭神を祀る位置と
順番に合わせて逆に配置されているとも、現在の社殿の修造した
徳川家光公の生まれ年が辰年であり、家光公が尊崇した
徳川家康公は虎年生まれであるため、自分の干支が尊敬する
家康公の干支よりも上位(=東、下位=西)の位置に配することの
ないよう家光公が配慮したともいわれています。』

岩清水八幡宮 (6)_resized
結婚式が行われていました!
神社。仏閣巡りをしていると、よく結婚式に出会います。
おめでとうございます!
幾久しくお幸せに!

岩清水八幡宮 (7)_resized
本殿にお参りした後、おふだ・おまもり授与所で、
ご朱印をいただきました!

岩清水八幡宮 (76)_resized
ご朱印帳、刺繍の施された凝ったものだったので購入 
ここで、岩清水八幡宮内にある3つの神社のご朱印も
いただけて、合計4つのご朱印がいただけます!

『全国屈指の厄除け参りの神社として古くから篤い信仰を
受ける石清水八幡宮の厄除けは、いわゆる「本厄」・「前厄」・
「後厄」・「廻り年」などの一般的によく知られる厄年のほか、
九星方位による「八方除け」・「方除け」や災厄などを祓い除ける
「災難除け」についても「厄除祈願」としてお受けしています。

◇前厄(まえやく)・本厄(ほんやく)・後厄(あとやく)・廻り年(まわりどし) 祈願
「前厄」・「本厄」・「後厄」は年齢により巡ってくる厄年であり、
数え年で、「本厄」は男性が25歳・42歳・61歳、女性が19歳・33歳・61歳、
「前厄」はその前年、男性が24歳・41歳・60歳、女性が18歳・32歳・60歳、    
「後厄」はその後年、男性が26歳・43歳・62歳、女性が20歳・34歳・62歳、
の方がそれぞれの厄年に当たります。
この三年間の厄年では一般的に「本厄」が最も重いというイメージがありますが、
本来は三年間の厄年として同じくらい運気が下がる大厄といわれています。

また「廻り年」とは12年に1度必ず迎える生まれ年(自分の干支の年)のことで、
年男・年女として男女共通の厄年に当たる小厄とされています。
但し、還暦(数え年で61歳)と男性の25歳(数え年)は三年間の厄年の
「本厄」の年に当たります。
また、初めて「廻り年」を迎える13歳の厄年は「十三参り」として
特に重要な年齢とされてきました。

◇はちまんさんの厄除け参り
厄除参りの習わしは各地域・神社によって様々です。
当宮では、厄除けのご祈祷にあわせ、八幡大神様の霊力の
象徴である「八幡御神矢」を受けるのが古くから最も丁寧な
厄除け参りの習わしとされてきました。
また厄年に当たるご本人がお参りできない場合はご代理の方でも構いません。

*お礼参りについて
前厄・本厄・後厄・廻り年や凶方位(八方除け・方除け)など厄年が
明けた年は「厄明けお礼参り」の年に当たります。
厄除け参りに限らず、願いごとが成就した時に改めて参詣し、
大神様に感謝申し上げるのが「お礼参り」ですが、当宮では厄除け参り
と同様に、「ご祈祷」と「八幡御神矢」を受けるのが、最も丁寧な感謝を
捧げる「お礼参り」の礼儀とされています。』という。

せっかくなので、京都西陣伝統の技をもちいて特別に奉製された
という七色おまもりを買いました!
これなら、ストラップとして、使えそうでしょ?

岩清水八幡宮 (77)_resized
ご朱印は、巫女さんが描いてくださいました!

岩清水八幡宮 (8)_resized
見頃のはずの紅葉が、まだ深まっていません。

岩清水八幡宮 (9)_resized
楠木正成公必勝祈願参拝の際奉納の大楠 
『方系植物相と南方系植物相の境界に位置する男山には、
京都府指定天然記念物のクスノキの巨木があり、
最大のクスノキは根周り18m、樹高30m、樹冠40mあります。
「洛陽名所集」によると、「戦勝軍利を祈り、楠千本を八幡山に
うへけり」とあり、楠木正成公が建武元(1334)年に必勝祈願参拝
の折に奉納したとされる樹齢700年にせまる大木です。』という。

と、まだとっかかりなのですが、長くなりそうなので、
本日はこのぐらいにしておきます。m(__)m
おやすみなさ~~い!



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