京都22社巡り、岩清水八幡宮、参道(一ッ石、大扉稲荷社、石清水社)

京都22社巡り、岩清水八幡宮、参道(一ッ石、大扉稲荷社、石清水社)

今日の神戸は、晴れ!
木、金は雨みたいなので、いいお天気満喫しなきゃ!

昨日は、アクアズンバと、アクアビクス2本、
プールサイドストレッチ、平泳ぎ500m、クロール500m、
ヨガと、お風呂。

さて、京都22社巡り、岩清水八幡宮の続きのお話は、
本殿にお参りしてから、まだ行っていない場所があるので、
参道を逆に辿ることにしました。
岩清水八幡宮 (1)_resized
表参道(馬場先)

岩清水八幡宮 (10)_resized
一ッ石
岩清水八幡宮HPによると、
『三ノ鳥居から本殿へと続く、馬場先と呼ばれる石敷の参道の
三ノ鳥居付近中央にその箇所のみ自然石が露出している部分があります。
この石は通称「一ッ石」「勝負石」「お百度石」などと呼ばれ、
「一ッ石」「勝負石」は「五ッ石」(かつて、南総門下にあった)
に対する呼称で、この石が走馬・競馬の出発点になっていた
こと(終点が「五ッ石」)に由来するといわれています。
「お百度石」はこの石が百度参り・千度参りの起点になっていたこと
(蒙古襲来の折には人々が一ッ石と本殿を往復し「道俗千度参」
を奉修した)に由来するといわれています。
江戸時代には、本殿参拝を終えた参詣者が一ッ石の前で
再び本殿に向かい拝礼するという習わしがあったということも
伝えられています。』という。

岩清水八幡宮 (11)_resized
三ノ鳥居

岩清水八幡宮 (12)_resized

岩清水八幡宮 (13)_resized
やっと紅葉に巡り合いました!
インターネットで調べると、紅葉が「見頃」のスポットで、
本来、紅葉狩り目当てにやってきたのに、
あんまり青々しているので、びっくりしていたところでした。

岩清水八幡宮 (14)_resized

岩清水八幡宮 (15)_resized
古びたお社があったので、お参り。
扉をちょっとだけ開けることが出来たので、
その間からお賽銭を入れました!

岩清水八幡宮 (16)_resized
大扉稲荷社
ぶらり38HPによると、
『男山山下の石清水八幡宮二の鳥居をくぐり、
通称「七曲がり」と呼ばれるジグザクの石段を過ぎると
「影清塚」のある分岐点にさしかかります。
右の間道は泉坊・松花堂跡、そして石清水杜に通じる道(
祓谷道または東谷道という)です。
この分岐点の左側、朱塗りの鳥居をもつ社が「大扉稲荷社」です。

その昔、このあたりには狐の住む穴があって、
柴草を刈りに来る人々にいたずらをするので、
小祠を建てて崇めたという伝説が残っています。
そして文政12年(1829)に至って、杉本坊親杲(すぎのもとぼう
しんこう)らが泉坊と相談、八幡宮に願い出て、現在の場所
にあった荒垣を取り除き、鳥居、玉垣を新たに作り、
社を移して改築したと伝えられています。

その建立には、次のような話が伝えられています。
それは、当時、今に言う宝くじが流行していました。
この稲荷社に祈った人が、その霊験によって富を得たことが
伝わると信者を増やし、その信者の寄進で建立になりました。
しかし、その祭神の名を知る人がなく、
古記にも伝えられていませんでした。
そこで、当時京都七条の高瀬川傍で稲荷を信仰し、神降しや
吉凶占いなど神告を業としていた石井巳之助という人によって、
「我は相槌稲荷の子、名を登毘良明神と申す」とのお告げを
受け、その神の名を知ることになりました。
こうして下京にはこの大扉稲荷社を信仰する人が多く、ここへ
詣る人が多かったと「男山考古録」は伝えています。 』という。
彼氏の商売が繁盛しますように! 

岩清水八幡宮 (17)_resized
下に下った所に神社が見えたので、行ってみたんですが、
岩清水八幡宮とは関係がなさそうでした。
三条 相槌神社

岩清水八幡宮 (18)_resized
これは、何の鳥居かなぁ 
二の鳥居でいいのかなぁ?

岩清水八幡宮 (19)_resized
「松花堂跡」ってあったんですが、
けっこう急な階段を上がっていかないといけないみたい
だし、「跡」って、何にもないんじゃない?ということで、
パスしちゃったんだけど、実はその上に、石清水社が
あったみたいです!
松花堂跡は、神社HPによると、
『表参道から影清塚の分岐点を右に上がり、
石清水社へと向かう途中に江戸時代初期、
松花堂昭乗(1584~1639)が営んだ「松花堂」という方丈
の建っていた跡地があります。
瀧本坊の住職であった松花堂昭乗は寛永11(1634)年以前に
弟子に坊を譲り、泉坊に移って隠棲し寛永14(1637)年には
泉坊の一角に方丈の草庵を結び「松花堂」と称したことから
松花堂昭乗と呼ばれるようになりました。
松花堂と泉坊の客殿は、明治初年のいわゆる「神仏分離」後も
しばらく男山に残っていましたが、明治7(1874)年頃に
京都府知事より「山内の坊舎は早々に撤却せよ」との厳命が
下ったため、当時の住職が山麓の大谷治麿氏に売却し、
幸運にも破却されずに残りました。
その後、幾度かの移築を経て、現在の松花堂庭園は昭和52
(1977)年に八幡市の所有となり管理運営されています。
男山山内の「松花堂およびその跡」は昭和32年に国の史跡指定
をうけましたが、平成24年1月には、その地を含む当宮境内全域
が国の史跡に指定されています。』という。

石清水社、行かんとアカンかった!
実は、本殿で、ご朱印もらい済み!
岩清水八幡宮 (78)_resized
神社HPによると、石清水社は、
『男山中腹に位置する石清水社は、霊泉「石清水」を
核とした摂社で、当宮の名の由来となった本宮御鎮座以前
の起源に遡り、御鎮座以前は傍に石清水寺が建立されており、
本宮創建と同時に石清水寺は「護国寺」となったとされています。
石造りの神明鳥居の石柱刻銘には、寛永13(1636)年、
当時の京都所司代・板倉重宗の寄進により建てられたとあり、
境内に完全な形で残る鳥居としては最古のものです。
また、その銘文は松花堂昭乗の書であるということも判明しています。

石清水は、厳冬にも凍らず大旱にも涸れない霊泉として、
男山五水の中でも特に尊ばれ、往古より皇室および将軍家の
祈祷にあたっては、この霊水を山上の本宮に献供するのを
例としていました。
その際、神前に供された石清水を「御香水」といいます。
現在でも、当宮にて斎行される年間100余の祭典には、
当日早朝に汲み上げられた「石清水」が必ず御神前に
献供されています。』という。
霊泉「石清水」、飲んでみたかったです!

もうひとつのご朱印、「武内社」の所在もわからず!
調べてみると、御本殿に寄り添うように鎮座している
のだそうです!

続きは、また明日!



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