京都22社巡り、岩清水八幡宮、本殿裏摂末社と、1円玉の木、鬼門封じ

京都22社巡り、岩清水八幡宮、本殿裏摂末社と、1円玉の木、鬼門封じ

今日の神戸は、曇のち雨。 
せっかくいいお天気が続いていたのになぁ。

昨日は、ヨガと、ZUMBA♪と、タエボー(ブートキャンプ)、
筋膜ほぐしと、ブルブルマシーン20分と、お風呂。

昨日は、また朝の3時半まで飲み続け、
食べ続けだったので、おなかぽっこりさん。
8月末から比べると、5kg増 
ヤバイよね~~!
なんとかしなきゃ!……と思いつつ、
晩御飯の後に、お菓子いっぱい食べちゃった!
ビールも飲んでるよ~~!

さて、京都22社巡り、岩清水八幡宮、続きのお話は、
展望台の紅葉を見た後、また本殿の方に向かいます。

岩清水八幡宮 (48)_resized
これは、二の鳥居なんかなぁ 
途中で、行けなかった石清水社に行こうと思ってたんだけど、
行く道がわかりませんでした。

岩清水八幡宮 (49)_resized
ここを上がると、本殿の東門で、近道なんだけど、
通行禁止になっていました。

実は本殿、表だけじゃなくて、裏にもいろいろあったみたいなんです。
それで、裏にも回ってみることにしました。
岩清水八幡宮 (51)_resized
岩清水八幡宮HPによると、
『西門の蟇股部分に、琵琶の木にぶらさがり木の実を
くわえる一匹の猿の彫刻があります。
実はこの猿、一説には伝説の名工・左甚五郎の作といわれ、
数ある当宮の彫刻のなかでもとりわけ秀逸な作品のため、
ある日、猿に魂が宿り、夜になると蟇股から抜け出して
山麓の畑を荒らすので、困ったお百姓さんたちが八幡宮に
相談した結果、かわいそうであるが抜け出せないようにと
猿の右目に釘が打ちつけられ、それ以降猿の悪さがなくなった、
という逸話が残っており、通称「目貫きの猿」と呼ばれています。』
ということで、探したんですが、見つけられませんでした。

岩清水八幡宮 (52)_resized
西総門

岩清水八幡宮 (53)_resized
神戸の私にも馴染み深い、広田社、生田社、長田社

岩清水八幡宮 (54)_resized
校倉
『築地内北西隅に位置する校倉(宝蔵)は、建築年代が
明確ではありませんが、文書や絵図などには江戸時代中期
から存在し、類例の少ない校倉建築として、平成21年3月に
石清水社・石清水井とともに京都府より文化財の指定をうけました。』

岩清水八幡宮 (55)_resized
住𠮷社
社殿は重要文化財

岩清水八幡宮 (56)_resized
一童社

岩清水八幡宮 (57)_resized
この木は、何の木でしょう 
すごい根っこですね!

岩清水八幡宮 (58)_resized
北総門
貴船社、龍田社

岩清水八幡宮 (59)_resized
若宮社 (社殿は重要文化財)

岩清水八幡宮 (60)_resized
若宮殿社 (社殿は重要文化財)

岩清水八幡宮 (62)_resized
気比社
水若宮社 (社殿は重要文化財)

岩清水八幡宮 (63)_resized
築地塀 
『通称「信長塀」とも呼ばれ、織田信長公が好んで採用した
様式といわれています。
瓦と土を幾重にも重ねることにより、当時の築塀における課題
であった鉄砲の銃撃や耐火性、耐久力に優れていたとされています。』

岩清水八幡宮 (65)_resized
おがたまの木

岩清水八幡宮 (64)_resized

岩清水八幡宮 (68)_resized
1円玉の木だということで、1円玉を入れてきました!

岩清水八幡宮 (69)_resized
霊力の宿る木なんだ!
私にパワーを 

岩清水八幡宮 (67)_resized
鬼門封じ
『牛の角を持ち、虎の皮を身にまとった鬼が来ると
いわれる丑寅の方角「鬼門」(東北)を封じるために、
社殿の石垣を切り取った造りになっています。』

岩清水八幡宮 (70)_resized
この角を曲がると、本殿正面
何だかいい感じのシルエット

岩清水八幡宮 (72)_resized
おふだ・おまもり授与所

岩清水八幡宮 (73)_resized
本殿
他の摂末社は本宮周囲にあるのですがが、
ご朱印をいただいた、武内社のみ本宮内にあるというのですが、
どこにあるのかわかりませんでした。

他にも、見るべきスポットはあって、
カヤの木
『南総門前東側に立つカヤ(榧)は樹齢700年以上、
根周り7m、樹高約20m、樹冠30m の巨樹であり、
京都府下のカヤのなかでも有数の巨木といわれています。
春に開花し、果実は秋に成熟します。
その昔、カヤの実はカヤ油として灯油などに使われ、
大山崎油座でも有名なとおり当宮と油の関係から御神木
として今なおその名残を示しているのかもしれません。
現在このカヤの実は当宮の重儀である石清水祭の神饌と
して使われおり、また茶道・裏千家の初釜式において
「蓬莱山飾り」という新春のお飾りにも用いられています。 』

瑞籬欄間彫刻
『本殿を囲む瑞籬には、壮麗な当宮の社殿を象徴する
極彩色の欄間彫刻が150点以上も施されており、一説には
江戸期の名工・左 甚五郎一派の作と伝えられています。  
なかでも「かまきり」や「りすとぶどう」「天人(てんじん)」など
珍しい彫刻もあり、荘厳にして堅牢な廻廊の内側では壮麗な
瑞籬の動植物たちが見るものを圧倒し、楽しませます。 』

織田信長公寄進の金銅製雨樋
『八幡造りである御本殿の内殿と外殿の「相の間」に架かる
織田信長公寄進の通称「黄金の雨樋」。  
天正7(1579)年12月、信長公が雨に遭って山崎寶積寺に
逗留の際、木製の雨樋が朽ち雨漏りがしていることを聞き及び
修理を命じ、翌、天正8年8月には木製から唐金の雨樋に
造り替えられました。
これには、もし再び当宮に天災などの有事が起こった際には、
この「黄金の雨樋」を換金し、その対処にあたるようにとの
信長公の信仰心の深さがあったという伝承があります。
長さ21.7m、幅54cm、深さ21cm。 』

流れ左三つ巴紋
『巴は橘とともに当宮の御神紋であり、御本殿の彫刻を始め
軒瓦など各所に見られます。
当宮の巴は「流れ左三つ巴」であり、いつの時代に何故御神紋
になったのか定かではありませんが、尾が長い文様ほど
古いとされています。  
幣殿の蟇股には4つの巴紋の彫刻が施されていますが、
実は1つだけ右巴があります。
これは、社殿を完成させてしまうと、あとは朽ちるのを待つこと
になり、あえて未完成の箇所、間違いの箇所を造ることにより、
まだその社殿が未完成であり、益々の発展を遂げるという
願いと縁起が込められているとされています。 』

橘の木
『京都御所紫宸殿前には「左近の桜、右近の橘」が配されて
いますが、当宮舞殿の東西両側には橘の木が植えられおり、
秋から冬にかけて黄金色の実をつけます。  
これは当宮を宇佐宮から勧請した行教律師の御紋が橘であり、
また創建時の六宇の宝殿を建立したのが木工寮権允・橘 良基
であったことに由来し、当宮の御神紋である「流れ左三つ巴」
とともに御社紋として使われていることに起源があるのでは
ないかとされています。 』

徳川家の「隠し葵」
『男山四十八坊のひとつ、豊蔵坊は徳川家康公が三河の大名
にすぎなかったころからの祈願所で、将軍家祈願所として幕府
および徳川家から受けた待遇は格別のものがあり、家康公自身、
42歳の本厄にあたり、自分の姿を写した等身大の御像を
豊蔵坊本堂の神殿に祀っています。
(現在は京都・等持院に安置されています)
また、家康公の側室となり、尾張藩祖・徳川義直公の生母で
あった於亀の方は、石清水八幡宮累代祠官家である田中家の
親族であり、当宮と徳川家は強い繋がりをもっていたことがうかがえます。
そして、現在の御社殿は寛永8(1631)~寛永11(1634)年に
かけて徳川家光公の修造によるもので、そのことから考えると、
徳川家の御紋である「葵の御紋」がいたるところに施されていて
もよいものですが、見当たりません。
実は、楼門蟇股部分、正面の双鳩(錺金具)の裏側、すなわち
参詣者からは見えない位置に、当宮の神紋とともに「葵の御紋」が、
錺金具に彫られています。
「さすが徳川将軍家、なんと控えめなことか」と捉えられますが、
実は、八幡大神様からは一番良く見える真正面に「葵の御紋」が
施されている位置関係になっています。 』

影清塚
『表参道と石清水社の方面へと向かう道の分岐点に位置し、
祓谷という谷筋の流れが向きを変える曲水の所に当たり、
その谷を隔てた向かい側には、かつて祓谷社というお社
があり、現在は山上の祓所で行われている6月30日の
夏越大祓と12月31日の年越大祓もここで行われていました。
かつて当宮へ参詣する人々は、この清水に己の影(姿)を
写して心身を祓い清め、長く長く幾度も曲がる参道を
上がるうちに心を整え、山上の本宮への参拝に臨んでいました。』

松花堂跡
『表参道から影清塚の分岐点を右に上がり、石清水社へと向かう
途中に江戸時代初期、松花堂昭乗(1584~1639)が営んだ
「松花堂」という方丈の建っていた跡地があります。
瀧本坊の住職であった松花堂昭乗は寛永11(1634)年以前に
弟子に坊を譲り、泉坊に移って隠棲し寛永14(1637)年には
泉坊の一角に方丈の草庵を結び「松花堂」と称したことから
松花堂昭乗と呼ばれるようになりました。
松花堂と泉坊の客殿は、明治初年のいわゆる「神仏分離」後も
しばらく男山に残っていましたが、明治7(1874)年頃に
京都府知事より「山内の坊舎は早々に撤却せよ」との厳命が
下ったため、当時の住職が山麓の大谷治麿氏に売却し、
幸運にも破却されずに残りました。
その後、幾度かの移築を経て、現在の松花堂庭園は
昭和52(1977)年に八幡市の所有となり管理運営されています。
男山山内の「松花堂およびその跡」は昭和32年に国の史跡指定を
うけましたが、平成24年1月には、その地を含む当宮境内全域が
国の史跡に指定されています。』

書院石庭(重森三玲作)
『数多くの名庭を手がけた昭和を代表する作庭家・重森三玲
により昭和27年に作られた石庭。南北約8m、東西約6mの
方形のなかに白砂が敷き詰められており、八幡大神様の
「海神」としての神格に因んだ海洋を表しています。
白砂の上にはもともと男山に散在していた石14個を大海原に
浮かぶ島に見立てて配し、三尊石を組んだものもあります。
15個目の石として、石庭の東南の角には「永仁三(1295)年
未乙三月」の刻銘が入った鎌倉期の石灯籠が配置されており、
当宮にある450基ほどの石灯籠のなかで唯一、国の重要文化財
に指定されています。』

エジソン記念碑
『幡の竹を使っての白熱電球の長時間点灯、実用化に成功した
世界の発明王エジソンとのゆかりにより、昭和9年当宮境内の
隣に「エジソン記念碑」が建立されました。
そして昭和33(1958)年には現在の位置に移転され、
昭和59(1984)年にはデザインを一新し建て替えられました。
当宮ではその遺徳を偲び、毎年エジソンの誕生日と命日に、
日米両国の国歌奉奏と国旗掲揚を行うエジソン生誕祭・碑前祭
を斎行しています。
また記念碑の前には、当宮とエジソンと電気のゆかりに因み、
電気自動車等専用充電スタンドを設置しています。』
などなど。

岩清水八幡宮は、桜の名所でもあるようですので、
桜が咲くころに、またじっくり訪れてみるのも
いいかもしれませんね!



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