丙申の逆うち!お遍路、第86番、志度寺と、お盆休みの旅行

丙申の逆うち!お遍路、第86番、志度寺と、お盆休みの旅行

今日の神戸は、晴れのち曇のち雨。  
昨日も、けっこういいお天気で、何だか最近の天気予報
アテになりませんね。

昨日は、海外旅行の検索などをしながら飲んでいて、
結局、寝たのは、朝の5時頃 
9時頃起きたんですが、昼間眠たかった~~!
でも、やっぱりお盆休みは、2~3倍の値段になってるから、
なかなか海外旅行手が出ない!
安い中国、韓国、台湾はあんまり行く気がしないし……。
結局、空席確認して、OKなのは、香港だけだったんだけど、
香港も、景色とか食べ物、中国だしなぁ……。
わざわざお盆休みに高いお金出して行く 
……やっぱり決まらない……。
今年の夏は、どっこも行けないんかなぁ……。

昨日は、ZUMBA♪と、エアロサーキットと、ピラティス、
筋膜ほぐし、お風呂。
やっぱり寝不足だと、動きが鈍いよね。
お風呂の中でも寝そうやったよ~~!

さて、丙申の逆うち!お遍路旅のお話の続きは、
逆うち3番目のお寺、第86番札所、 志度寺
86志度寺 (1)_resized

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志度寺に向かう右手には、江戸時代中頃の本草学者、地質学者、
蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人であり、
蘭画家、発明家という多才な平賀源内の墓所があります。
土用の丑の日にウナギを食べる風習は、源内が発祥との説もありますね!

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四国八十八ヵ所霊場会HPによると、
http://www.88shikokuhenro.jp/kagawa/86shidoji/
仁王門(国指定重要文化財)
門前町の突き当たり、運慶の力作、仁王像巨大わらじが迎えてくれる、
全国的にも珍しい三棟造りの堂々とした佇まい。
本堂とともに讃岐藩主、松平頼重により寄進されました。』という。
この巨大わらじ、巡礼のお寺の山門には、
必ずあるようですね!

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運慶作、阿形の仁王像

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吽形の仁王像

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仁王門をくぐると、青々とした庭園が広がっています。

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手水舎

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鐘堂

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四国八十八ヵ所霊場会HPによると
志度寺の歴史・由来は、
『香川県東部、志度湾に面して建立される志度寺。
海の向こうはるかには、屋島五剣山の稜線を望めます。
開創は古く推古天皇33年(625)、四国霊場屈指の古刹です。
海洋技能集団海人族の凡園子(おおしそのこ)が霊木を刻み、
十一面観音像を彫り、
精舎を建てたのが始まりと言われ、その後、藤原鎌足の息子、
藤原不比等が妻の墓を建立し「志度道場」と名づけられました。
その息子房前の時代、持統天皇7年(693)、行基とともに
堂宇を拡張し、学問の道場として栄えました。
能楽の作品「海士(あま)」の舞台としても語り継がれています。
 
室町時代には、四国管領の細川氏の寄進により繁栄するが、
戦国時代に荒廃。
その後、藤原氏末裔、生駒親正(安土桃山時代、信長や秀
吉などに仕える)による支援を経て、寛文10年(1671年)
高松藩主松平頼重の寄進などにより再興されました。
志度は、江戸時代の奇才平賀源内の故郷であり、
近くに記念館があります。

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本堂・本尊(国指定重要文化財)
本尊・十一面観世菩薩立像、さらに両脇侍の不動明王立像
毘沙門天立像は平安時代の檜一木造り
讃岐藩主、松平頼重により寄進された本堂とともに
全て重要文化財に指定されています。』という。

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本堂、大師堂で、ろうそく、お線香、お賽銭をお供えし、合掌 
脇にどいてから、読経します。
本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか

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ご詠歌:いざさらば 今宵はここに しどの寺 祈りの声を 耳に触れつつ
ご詠歌は、唱えることなく、先達さんから何のお話もありませんね。

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奪衣婆堂(県有形文化財)

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お堂の中には、奪衣婆さんがいて、笑っている 
奪衣婆というのは、三途の川のほとりにいて、
亡者の着物を奪い取る鬼婆のことだそうで、
奪い取られた着物は、衣領樹(えりょうじゅ)と呼ばれる
木の枝にかけられ、その枝の垂れ具合で
亡者の生前の生前の罪の重さを計るのだそうです。
重く垂れるほど罪が深くて、三途の川を
苦労して渡ることになるそうです。
四国八十八ヵ所の巡礼をした人は、
この審査がフリーパスになり、一番楽な渡し舟で、
三途の川を渡ることができるそうですよ!
ここで、生前の地位や権力、財産などを全て取り払うそうです。

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海女の墓

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四国新聞によると、
海女の玉取り伝説
一人の海女の悲しい伝説が志度に伝えられている。
時は千三百余年前、天智天皇のころ。藤原鎌足が亡くなり、
唐の第三代皇帝、高宗に嫁いでいた娘は父の追善のため、
三つの宝物を贈った。

しかし、都への船が志度浦にさしかかると、三つの宝物のうち
「面向不背(めんこうふはい)の玉」が竜神に奪われてしまった。  
鎌足の子の不比等は玉を取り戻すため、身分を隠して志度へ。
海女と契り、一子房前をもうけた。
不比等は数年後、素性を明かし、玉の奪還を海女に頼む。

海女は「わたしが玉を取り返してきましょう。そ
の代わり、房前を藤原家の跡取りに約束してください」
と竜宮に潜っていった。

腰に命綱をつけた海女の合図があり、不比等が綱をたぐると、
海女の手足は竜が食いちぎっていた。
が、十文字に切った乳房の下には、玉が隠されていた。

房前は藤原家を継ぎ、大臣に出世した。
ある日、不比等から母の死の理由を聞かされ、志度を訪問。
千基の石塔を志度寺に建て、菩提(ぼだい)を弔った。

「祖母の手枕(まくら)で何度も聞いたものですよ」。
志度町史の生き字引、岡村信男さん(79)に「海女の玉取り伝説」
を聞かせてもらった。

伝説は志度寺の由来を記す「志度寺縁起」のひとつに伝えられ、
の「海士」にもなっている。
いつ、どこの、だれが物語を創作したのかは、定かでない。

不比等、房前らの登場人物、どの方向からでも釈迦(しゃか)の
立姿を拝むことができる小さな玉の面向不背の玉も
実在しているという。
ただし、悲しき主人公である海女と物語は作り話だそう。

それでも志度町には、海女が玉を取り上げた真珠島
天野玉浦など、物語にまつわる史跡と地名が多く残っている。
海女の命日の旧暦六月十六日には毎年、志度寺で
十六度市という市が立つ。
伝説の息づく街だ。

夫と息子への愛のため、命を投げ出した妻、母
…こう単純化すると、いかにも陳腐で、女性はずいぶんと損な
役回りを押し付けられたものだ―。と考えていたら、
岡村さんは物語にある背景も推測してくれた。
「当時の庶民の生活は貧しく、貧富の差は激しかった。
子供だけでも出世して豊かな暮らしをさせてやりたい。
そんな願望が伝説に結びついたのでは」。

海女の墓は、志度寺の西に実在している。
貧しさゆえ、あるいは母性愛ゆえの悲劇なのか。
こけむした石肌が伝説をしのばせる。
文・福岡 茂樹(報道部) 』という。

この志度寺の大変広い庭園は、
曲水式庭園・無染庭(むぜんてい)というそうです。
『「曲水式庭園」は室町時代の作庭で、天に向かいそびえる
力強い石組が印象的。
書院の正面に作庭された無染庭は禅式枯山水庭の定型を
採り竜安寺を感じさせます。拝観料無料。』という。

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ご朱印と、ご本尊の十一面観世菩薩お姿、散華

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志度寺の前の道路を渡るとすぐ海です。

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丙申の逆うち!お遍路の旅、3つのお寺を訪れ、
この日は終了 
バスの中で、読経をし、1回目の巡礼を終え、
帰路につきました。



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