南イタリアおひとりさま旅Vol.26,レッチェ、サンタ・クローチェ聖堂(バジリカ)

南イタリアおひとりさま旅Vol.26,レッチェ、サンタ・クローチェ聖堂(バジリカ)

今日の神戸は、晴れのち曇で、夜には雨。  
天気予報が、コロコロ変わりますね。

昨日の台風は、何かに守られているように、やっぱり神戸には
あまり被害を与えず、雨も風もたいしsたことがなかったです。
北区のおうちで、崖崩れで避難されたおうちが1件あると
ニュースで流れていましたが。
度重なる台風で、被害に遇われた方に、お見舞い申し上げます。

昨日は、朝はほとんど雨も降っていなくて、
夕方には雨が止む予報だったので、大好きなアクアズンバに
行きたかったんですが、朝から避難準備勧告が出ていたので、
さすがに自粛しておうちにいることにしました。

さて、南イタリアおひとりさま旅続きのお話は、
レッチェサントロンツォ広場などを通った後、
サンタ・クローチェ聖堂に向かいました。
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サンタ・クローチェ聖堂は、レッチェ最重要の建物だそうです。
1353年に建設が始まりましたが、1549年まで工事が停止し、
完成したのは1695年だったといいます。
動物、グロテスク、野菜などの像で飾られたファサード
巨大なバラ窓があります。

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隣接するのは、かつて修道院であった建物に入っている庁舎だそうだ。

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サンタ・クローチェ聖堂(Basilica di Santa Croce:バジリカ
Wikipediaによると、『フィレンツェにあるフランシスコ会の主要な教会で、
カトリック教会のバシリカ
サンタ・クローチェ広場にあり、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂からは
南東800mのところに位置する。
元々は市の城壁の外側にある湿地帯だった。
この聖堂は、ミケランジェロ、ガリレオ、マキャヴェッリ、ジョヴァンニ・ジェンティーレ、
ロッシーニ
といった有名なイタリア人たちの埋葬場所でもあり、そのことから
「«pantheon» delle glorie italiane(イタリアの栄光のパンテオン)」として知られている。

<建物>
サンタ・クローチェ聖堂はフランシスコ会の世界最大の教会である。
16の礼拝堂を有し、その多くはジョットおよびその弟子たちによって装飾されている。
さらに墓碑・記念碑も多く存在している。
言い伝えによると、サンタ・クローチェ聖堂はアッシジのフランチェスコ
フランシスコ会〔フランチェスコ会〕の創設者として知られるカトリック修道士)
自身によって建てられたと言われる。
古い建物から現在の教会に建て替える工事は、町の裕福な家の
いくつかが資金を出し、アルノルフォ・ディ・カンビオの設計で、
1294年5月12日からスタートした。
1442年には、ローマ教皇エウゲニウス4世によって聖別された。
建物のデザインはフランシスコ会の質素さを反映したものである。
平面図にすると、エジプト十字、あるいはフランシスコ会のシンボルである
タウ十字の形をしていて、八角形の柱列によって、長さ115mの身廊
および2つの側廊に隔てられている。
教会の南側には修道院があって、その建物は現存している。
主回廊には、パッツィ家礼拝堂がある。
これは1442年から1446年にかけて、参事会会議場として建てられ、
最終的に1470年代に完成したものである。
先にサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドームを作った
フィリッポ・ブルネレスキは、 精密なシンプルさと簡素さを保てるよう、
そのデザインに留意した。
1560年に、対抗改革の余波を受け、内陣仕切りが取り外され、
ジョルジョ・ヴァザーリが屋内を再建築することになった。
その結果として、教会の装飾が損傷し、仕切りのところにあった
祭壇画の多くは失われてしまった。
鐘楼は、最初のものが落雷によって傷んだため、1842年に再建された。
ゴシック・リヴァイヴァル建築大理石のファサードは、
1857年から1863年にかけて、ニッコロ・マタスが制作した。
1866年のイタリア統一運動の一応の終了後、修道院制度が廃止
された時は、サンタ・クローチェ聖堂全体が政府の国有財産となった。
付属美術館は昔の食堂をあてられ、回廊とは分けてある。
その回廊にはフローレンス・ナイチンゲールの祈念碑が建っている。
ナイチンゲールはこの町の生まれで、名前も町の名から付けられた。
ブルネレスキは内側の回廊も手掛け、1453年にそれは完成した。
1966年に、アルノ川が氾濫し、フィレンツェ市内の殆どが浸水した。
サンタ・クローチェ聖堂もその被害に遭い、教会の建物は泥と汚染物質と
暖房油まみれになってしまった。
建物自体と美術品の損害は甚大で、修復までに数十年を要した。    
かつてのフランシスコ会士の寄宿舎は、現在、Scuola del Cuoio(革製品の学校)になっている。
訪問客は伝統工芸の財布や書類入れ、その他の革製品を見ることができ、
またそれらは隣接する店で売られている。』という。

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Wikipediaによると、バシリカ(basilica)とは、
1.建築の平面形式のひとつで、中央の身廊の2辺ないしは
それ以上の辺を、側廊によって取り囲むもの
をいう。
身廊と側廊は列柱によって分けられる。バジリカ式、長堂式ともいう。
2.ローマ教皇の発行した教皇小書簡により、一般の教会堂より
上位にあることを認められた教会堂
のこと。

<歴史>
●ローマ建築のバシリカ
バシリカの語源がギリシア語であることから、この建築は
古代ローマのなかでもギリシア語が話されていたイタリア半島南部、
カンパーニア一帯で形成された可能性が非常に高い。
その後ローマ帝国の西方属州の都市に建設され、悪天候の際に
使われるもうひとつのフォルムとして、商売などの私的事業のほか、
裁判所や集会所などの公的活動にも使用される、
一種の多目的ホールとして機能した。
バシリカはローマにおける最も重要な公共建築となり、
西方属州にあっては、帝政初期にフォルムの一辺がバシリカで
占有され、神殿などと完全に融合したバシリカ・フォルム・神殿複合体
と呼ばれる公共空間が建設された。
これは紀元前2世紀から紀元前1世紀にかけて、イタリア半島北部で形成され、
都市計画のなかに組み込まれたものである。
バシリカは、一般に木造天井で覆われたホールを持ち、
内部に列柱廊を設け、短辺に裁判などの際に執政官が着席する高壇
(トリブナル)が作られた。
その反対側はフォルムに解放されていたが、巨大なものでは
短辺の両側にトリブナルやアプスを設けたため、長辺側にフォルム
への複数の出入り口を備えるものもある。
また、しばしば皇帝崇拝のための礼拝堂、公文書保管所、書記局
などの付属室を備える。
ただし、多くが長方形平面で身廊と側廊、入り口に対応する
トリブナルなどを備えていたとは言え、正方形平面でほとんど
単一の空間しかないものや、側廊を持たない平面のものもあった。  
今日、その遺構を見ることのできる最も古いバシリカは、
紀元前2世紀に建設されたポンペイのバシリカである。
首都ローマのフォルム・ロマヌムに最初に建設されたバシリカ、
バシリカ・アエミリアも紀元前184年から紀元前170年の間に
建設されており、両者はほぼ同時期に建設されていると考えてよい。
ただし、現在のバシリカ・アエミリアの遺構は、紀元前25年頃に
バシリカ・センプロニア(以後バシリカ・ユリアと呼ばれる)とともに
ガイウス・ユリウス・カエサルによって再建されたものである。
バシリカ・ユリアは、政務官の職務として司法に重点が置かれる
ようになったため、裁判専用のバシリカとして割り当てられ、
百人法院裁判官の法廷として民事裁判のみが行われた。
今日残るバシリカ・ユリアの遺構はカエサルの時代のものではなく、
12年にオクタウィアヌスによって再建されたものである。

●建築形式としてのバシリカ
バシリカはギリシア語で「王の列柱廊」を意味するバシリケーに
由来するとされるが、その正確な意味については議論がある。
ローマ建築において、バシリカは裁判所や取引所に用いられた集会施設、
またはそのような機能そのものを指す言葉として使われていたが、
やがてローマ伝統の礼拝堂建築(および礼拝形式)ではなく、
集団が一堂に集まる礼拝を必要とするキリスト教の教会堂の建築
として取り入れられ、一定の平面形式を指す言葉となった。
バシリカは、長方形の平面を持ち、内部にクリアストーリ(採光用の高窓)
と列柱のアーケードを持つ建築物で、古代ローマにおいて確立された
特定の公共建築と、そこから派生したキリスト教の教会堂建築を指す。
建物の短辺方向は、屋根を構成する横架材の強度、あるいは水平方向
への応力によってその幅が決定するが、長辺方向については敷地と
費用の許す限り、どこまでも連続させることができる。
また、垂直方向についても、ゴシック建築に代表されるように壁面に
控壁を設置することによって高層化させることが可能である。
バシリカの内部は単純な構成で、ある程度は多目的に使用することができ、
実際に古代ローマでは、雨天の際のフォルムとして利用されているが、
細分化された特定の儀礼、典礼に対応するには不都合が生じるため、
ロマネスク建築では西構えや西正面、アプス、方形内陣、小礼拝堂などを
組み合わせてその機能を補った。ゴシック建築やルネサンス建築でも、
多少の違いはあるが、多くの教会堂の基本構成はバシリカである。

●特権を付与された教会堂としてのバシリカ
カトリック教会では伝統的に、ローマ教皇の発行する公式文書
(教皇小書簡、小勅書などと呼ばれる)によって種々の特権を
付与された教会堂をバシリカと呼称している。
これらの特権は具体的には「一般の教会堂より上位の教会堂
として扱われる権利」「オンブレリーを備える権利」「ティンタナバラム
を備える権利」「聖務日課において聖堂参事会員が大カッパ
(cappa magna)を着用する権利」
の四つである

なお、ある教会堂がバシリカであると同時に司教座聖堂である例も
珍しくない。
教会堂としてのバシリカの中でも最も著名なのが、ローマにある、
いわゆる「四大バシリカ」である。
バシリカは世界中に数多く存在しており、2006年時点で1476
バシリカがある。
大半はヨーロッパにあるが、南北アメリカにも200弱、アジアや
オーストラリアにも若干のバシリカが存在している。』という。

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お店の前に飾られている鼻の大きな人が、
サンタ・クローチェ聖堂の建築家(設計者?)だそうで、
サンタ・クローチェ聖堂の正面にも顔が掘られているというのですが、
みなさんは見つけられるでしょうか  
とにかくこの聖堂、一度建築に取り掛かってから、紆余曲折があり、
完成するまでに、100年以上の歳月を要したというのですから、
スペインのサグラダ・ファミリアといい、ヨーロッパ人は、
気が長いのでしょうか 

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聖堂礼拝堂

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教会って、イエス様や、マリア様だけを祀っているものでは
ないんですね。
いろいろな聖人(?)が祀られているため、1つの教会に、
たくさんの祭壇があるんだそうです。

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確かこのイエス様が、カルタペストで作られていると聞いたような……。

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懺悔室です。



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