石道寺、鶏足寺、永源寺紅葉狩りVol.5、永源寺、紅葉ライトアップ

石道寺、鶏足寺、永源寺紅葉狩りVol.5、永源寺、紅葉ライトアップ

今日の神戸は、晴れ!
日曜日、うっとおしい雨だったので、晴れるとうれしいですね!

昨日は、風邪をひいてしまって、どこにも出かけませんでした。
特に、しんどくはないんですが、席と鼻水が出ます。
熱を計ったら、微熱 
まあ長引くのかなぁ……。

さて、石道寺、鶏足寺、永源寺紅葉狩り、続きのお話は、
予定より遅く、午後4時前に石道寺を出発して、5時過ぎに 
次の目的地、永源寺に到着 
ナビの案内だと、永源寺の駐車場を通り抜け、
車が1台しか通れないような山道に入って行ってしまいました。
何故だか(多分、永源寺ダムという場所が近くにあり、
そこには大型車が行けないせい?)、そんな山の中に、
警備員のおじさんがいて、その方に聞くと、
通り過ぎて来た橋の向こうが永源寺だと言うことです。
でも、橋の前の駐車場は、混んでいるので、もう少し上の
町営駐車場に停めた方がいいと教えてくれました。
今なら、駐車場も無料になっているはずだからと。
真っ暗で、わかりにくい中、駐車場を見つけて停めました。

車を降りたころ、急におなかが痛くなってきました。
今頃になって、「もりもりスリム茶」が効いてきたみたい。
辺りは真っ暗で、お店やトイレもなさそう!困った!と、
駐車場の前に、旅館があって、灯りが点いています。
ここで借りれるか聞いてみよう!彼氏が、聞いてくれると、
宿のおかみさんらしき方が、快くトイレを貸してくれました!
その上、永源寺の拝観料が無料になる券まで、
私達二人分くださったんです 
めっちゃ親切な方!感激! 
霜錦館(そうきんかん)というお宿です。
霜錦館
ホントに、ありがとうございました!(人''▽`)ありがとう☆

霧錦館から、永源寺に向かって暗い車道を歩いていきました。
橋の所まで行くと、対岸がライトアップされているのが見えました。
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川の中に、♡+♡ の形に灯りがともされているのですが、
これは、何か意味があるのでしょうか 
写真ボケボケですみません!m(__)m
デジカメで、うまく写真が撮れません。
エクスペリアで撮った方がいいみたい。

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橋を渡ってすぐの所に、おみやげ屋さんが、3件並んでいます。
その真ん中のお店が、私がZUMBA♪を習っている
インストラクターさんのご実家がご家族総出で営んでおられて、
お味噌や、永源寺こんにゃく、干し柿などなど、手作りされているんだそうです。

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おみやげ屋さんの前に、永源寺で初めて遭遇する紅葉が!

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これも、ちゃんと写ってないんですがm(__)m
和泥水」と書かれた手水舎。
「泥まみれになって尽くす」という意味なんだそうです。

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参道には、石仏がいっぱい 
この方は、何でメガネをかけておられるんでしょう 

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ボケボケでわかりにくいですが、一六羅漢さんたち
度々訳の分からない写真で、ホント、ごめんなさいm(__)m

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洗耳水、耳もお清めするんやと不思議に思ったのですが、
外界のうわさ話や邪な内容などをきれいにするというものなのだそうです。

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受付で、いただいたチケットを渡すと、本堂で、
コンサートが始まったばかりと聞き、急ぎます。

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方丈(ほうじょう):本堂
『康安元年(1361年)佐々木氏頼が創建。しかし度重なる兵火、
火災により消失の難にあった。現在の建物は明和二年(1765年)、
井伊家の援助により建立されたもので、屋根は国内屈指の葦葺きである。
正面には本尊、世継(よつぎ)観世音菩薩が奉安されている。』という。

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フォークグループっぽい女性の歌声がします。
森山良子さんっぽい声です。

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この奥に、ご本尊がいらっしゃるんでしょうか 

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鐘楼(しょうろう)
『過去4度の兵火や火災があり、現在の鐘楼は安永元年(1772年)に再建された。
大鐘は太平洋戦争時供出したが、昭和二十三年再鋳された。』という。

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こちらの仏像には、お線香にお願いごとを書いて、
お供えするといいそうです。
私も、ど真ん中に、お線香を立ててきました!

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撫で仏さん。

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山門(さんもん) 
『※重要文化財 寛政七年(1795年)井伊家の援助等により7
年の歳月を費やし享和二年(1802年)完工した。
楼上に釈迦牟尼佛・文殊菩薩・普賢菩薩並びに十六羅漢を奉安している。』という。

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永源寺 〒527-0212 滋賀県東近江市永源寺高野町41 
瑞石山 永源寺の歴史
当山は、南北朝時代の興安元年(1361)に、時の近江守護職、
佐々木六角氏頼公が、入唐求法の高僧、寂室元光禅師(正燈国師)
に帰依し、領内の土地を寄進して伽藍を創建したことが始まりです。
禅師が入寺、開山されると、その高徳を慕って二千人あまりの
修行僧が集い、山中には五十六坊の末庵を有したと記されています。
師の滅後も、四人の高弟が教えを守り永源寺を受け継ぎました。
応仁の乱の頃には、横川景三といった京都五山の名だたる
僧達が、この地に戦難を避けて修行をされました。
しかし、明応(1492)永禄(1563)と続く戦乱によって、
当地も兵火の及ぶところとなります。
伽藍や山内の幾多の寺院は全て焼け落ち、以後寺運は衰退してゆきました。
江戸時代中期になり、妙心寺の僧、別峰紹印禅師は、永源寺が
往時の面影も無く荒れはてていることに嘆き、嘆願書をしたため、
自らも石を曳いて復興のために尽力いたしました。
弟子の空子和尚も永源寺第七十九世として住職され、
彼らの懸命の働きによって、やがて名声高き一絲文守禅師(仏頂国師)
を迎えることとなりました。
これにより後水尾天皇をはじめ、東福門院(徳川和子)や
彦根藩(井伊家)の帰依をうけて伽藍が再興され、
ここに再び法燈が輝いたのであります。
明治になり、政府の指導によって、はじめ臨済宗東福寺派
に属しましたが、後に永源寺派として独立し、
坐禅研鑽、天下泰平、万民和楽を祈る道場として、
全国百有余の末寺を統轄する一派大本山となり、
今に至っています。

御本尊(よつぎかんのん) 
永源寺の山門をくぐって少し歩くと、鐘楼の左正面、
大きなヨシ葺き屋根の方丈があり、ここには当山の御本尊、
世継観世音菩薩」をお祀りいたします。
秘仏として厨子の扉の奥に鎮座され、御開帳はおよそ
四半世紀に一度、普段直接お姿を拝むことはできません。
この仏様には、当山の開山様にまつわる次のようなご縁起があります。

むかし、開山寂室禅師が、三十七歳にて中国への留学を終えられ、
船に乗ってご帰朝の折に、海上大きな嵐にみまわれました。
船上の皆生きた心地なく、最早海の藻屑かと思うとき、
禅師が静かに祈りを捧げられると、不思議にも海上に
白衣の観世音菩薩が顕れ、ほど無くして濤風は鎮まり、
ご一行は無事に祖国の土を踏むことを得ました。
月日は流れ、寂室禅師が永源寺に住まわれると、夜
毎にお寺の東の峰から光明が放たれ、禅師がそこを
お訪ねになると、大きな石の上に丈一寸八分(約5cm)の
小さな観世音菩薩の像
がありました。
禅師は「これはかつて海上で難をお救い下さった観音様に
違いない」と深く感嘆され、わざわざ中国から仏師をお招きし、
かつて修行された中国の土でもって観音像を作らせ、
その像の額の宝冠の中に、件の小さな霊像を納めて御本尊とされました。
のちに近江守護職佐々木氏頼公の子、満高公が跡取りに恵まれず、
この観音に毎夜一心に祈願をされたところ、夢にお告げがあり、
やがて世継をお授かりになりました。
この事が伝わると、だれが言うともなく「世継観世音
(よつぎかんぜおん)」と呼び讃えられるようになったのであります。
以来、一心に念ずれば善き跡継ぎに恵まれ、子孫は安楽、
会社は繁栄、功徳無量の霊験あらたかな仏様
として、
篤い信仰を集めております。
六百年の月日が流れたいまも「観音さんにお参りしたら、
子供や孫に恵まれました」と、お礼参りにみえる方々はあとがたえません。
 
永源寺は瑞石山(飯高山)と愛知川(音無川)の山中、静かに佇んでいます。
開山寂室禅師の詩にも「屋後の青山、檻前(かんぜん)の流水」と詠われ、
深い自然にいだかれた幽境です。
境内はカエデをはじめとする様々な自然の木々に覆われ、
静寂の向こうよりかすかに聞こえる野鳥のさえずりや愛知川の渓声、
春夏春秋うつろう風光と、開山さまの愛でられた山の空気を今に伝えます。
ご本尊「世継観音」をおまつりする方丈の大屋根は、
琵琶湖のヨシで葺かれています。
草葺き屋根として全国でも屈指の規模です。
当山の特徴として、周囲を隔てる大きな土塀を構えないことが
挙げられます。
これは権威を嫌い、終生大寺への住山を固辞し続けたという、
開山禅師の遺志によっています。
創建当時の建造物は全て兵火に焼かれ、現存するものはありません。
現在の伽藍は江戸中期以降に再興されました。
また、庫裏は老朽化のため、昭和54年鉄筋コンクリート造に改築されました。

永源寺は古くから紅葉の名所として名を馳せてきました。
春暖の陽光の下、楓樹は一斉に芽吹きを見せ、五月には
目も醒めるような鮮やかな新緑に、境内は包まれます。
夏、梅雨が開けヒメハルゼミが鳴きはじめると、あたりは
濃緑の茂りを透して涼やかな光がふりそそぎます。
このセミは当地では「寂室蝉」とも呼ばれています。
秋が深まると、彩りもあでやかな紅葉が覆い、美しい
カエデのトンネルをくぐり歩きます。
やがて冬到来し、落葉の絨毯が敷かれたあとには、枝ぶり見事な
樹木の姿が残り、雪花の白一色につつまれるのです。

六百年の昔、初めてこの地を訪れた、七十二歳老境の
寂室禅師は、ここにかつて修行をされた天目山の幽景を重ね、
笏をとどめて、ご自身の終の地となされました。
禅師の想いは沢山の漢詩の中に窺うことができます。
  風攪飛泉送冷声   風、飛泉(滝)を攪(か)いて冷声を送る
  前峰月上竹窓明   前峰、月上(のぼ)りて竹窓明らかなり
  老来殊覚山中好   老来殊に覚ゆ山中の好(よ)きことを
  死在巌根骨也清   死して巌根に在らば骨也(ま)た清し』という。

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インストラクターさんのご実家のおみやげ物屋さんに寄って、
手作りの柚子味噌、山椒味噌、永源寺こんにゃく,赤かぶ漬け
を買ったんですが、こんにゃくのおでんをいただきました!
牛すじの味がよくしみ込んでいておいしかったです!

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石道寺と、永源寺のおみやげ。

永源寺 (38)18:34_resized
永源寺の駐車場も、紅葉がきれいです。
お世話になった霜錦館さんも、帰りには、もう明かりが消えていました。
せっかくここまで来たのだからと、「永源寺そば」というお店で、
何か食べて帰ろうと、立ち寄ってみたのですが、閉まっていました。
残念!



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